故 及川顧問の三回忌に

在京⽩堊会前会⻑ 昭和41年卒 ⾺場 信

 在京⽩堊会初代会⻑及川昭伍⽒(S25卒)が令和2年2⽉14⽇に逝去された。この時、89歳だった。在京⽩堊会としては直ぐにでも偲ぶ会等追悼の⾏事を開催したいところだったが、コロナ下のこと、機会を⾒いだせないままに今⽇に⾄ってしまった。今年の三回忌にあたり、ご仏前に⾹典を供えさせていただいたのがせめてものことだった。

 在京⽩堊会は、昭和44年5⽉13⽇に上野精養軒の創⽴総会にて設⽴された。きっかけは⺟校の甲⼦園出場で、在京の同窓⽣が⼤挙して応援に駆けつけた際に、東京にも同窓会組織を設けようとする気運が盛り上がった事だった。それまでは、有志が⼯藤祐正⽒(S17卒)の弁護⼠事務所に集まって酒を飲んでいた。

 設⽴後もしばらくは緩い懇親会組織としての活動が中⼼となっていたが、平成8年の第28回総会で会則の整備と会⻑制の導⼊が⾏われた。このときに中⼼となって動いたのが及川さんらで、及川さんは初代会⻑に就任した。つまり、及川さんは今⽇の在京⽩堊会の⾻格を築かれたのだった。

 及川さんは、東北⼤学から⼤蔵省に⼊り、経済企画庁で国⺠⽣活局⻑や総合計画局⻑などを歴任され、退官後は国⺠⽣活センター理事⻑にあった。この間、消費者問題に関する施策に取り組むなど消費者問題に造詣が深く、「ミスター消費者問題」と讃えられた。及川さんは、郷⼟愛、⺟校愛の強い⼈で、多くの後輩を育成指導された。及川さんは、私にとっては年次で16年も離れた⼤先輩だが、とても⾯倒⾒のいい⼈で、数々の薫陶をいただいた。気⾻があり、深い⾒識と幅広い交友があり、その謦咳に接することができたことは私にとって⼤きな財産となった。

 実は、及川さんには随分前になるが、作品を⼀つお願いしていて、その折には何がいいかと尋ねられ、遠慮なくマグカップと答えていた。
 そうしたら、亡くなられる前年末の⽩堊芸術祭に出品されたマグカップは、驚いたことに、私のために制作したものだということだった。
 これは、染付で⿃獣戯画が絵付けされている。端正で上品な作品である。
 ほんの軽い気持ちでお願いしたことを覚えておいてくださって、しかも、今になって気がついてみれば、これは及川さん最後の作品ではないのか、体調のすぐれないところを振り絞って作陶したのではないのか、そのようにも思えてくる。

  できの悪い後輩にもきちんと約束を果たされて、今はただただご冥福をお祈り申し上げるばかりである。